今週のお題「2019年の抱負」
2019年の抱負は
「どんなときも自分を見失わないこと」
私には少々対人恐怖症気味のところがある。
それを克服するべく色々本も読んだ。
そして変わりたい、と努力もしながら
40年間自分のそんな性質と付き合ってきたので
一応見知らぬ人とでも、会話はできるし
日常生活にも支障はない。
特に仕事の時は仕事モードに切り替えて
歯科医師と患者さんとして話せばいいので、
あまり問題なくコミュニケーションをとることもできている。
でも、ことプライベートでは
「こんなことを言ったら嫌われるのではないか」
「恥をかくのではないか」
「他人からバカにされるのではないか」と
人の顔色ばかり気にして自分を抑えてしまう。
意見を言えない。主張できない。
そうだねー、なんでもいいよーと
主体性のないヘラヘラした情けない人になってしまうし、
緊張して面白いこと一つ言えなくなる。
私はそんな自分が嫌いだ。
例えば
「ご飯どこいくー?」
こんな会話の時、提案ができない。
自分の提案を、誰かが「そんなところ嫌だな」と思うんじゃないか、と考えると
「どこでもいいよー」としか言えなくなってしまう。
私はそんな自分が嫌いだ。
いつもは「何を言うのが正解か」なんて、ずーっと考えている。
例えば大人数でのカラオケ。
自分の選曲が場を盛り下げるのではないか、
こんなときどんな選曲をすべきか考えすぎてしまい、結局歌えない。
空気を読めば、歌わないことの方が場を盛り下げる。
それに自分が思うほど人は私のことなど見ていないし、気にしていない。
歌いたいものを歌えばいいのだ。
そんなことは分かってはいても
選択し、主張し、提案することは私にとっては恐怖だ。
できることなら歌いたいのだ。
特に強そうな人は怖い。
オラついたイケメンや
自信たっぷりのホストはときめきの対象ではなく、とにかく怖い。
女の人なら「私サバサバしてます」っていいそうな人が怖い。
学生時代クラスの中心人物だったっぽい人、
バレー部っぽい元気な感じ。
(バレー部だった方、すみません。)
その人が私に何をするわけでもなく、
私を傷つけると思っているわけでもない。
ただただちょっと怖い。
特に過去にいじめを受けたわけでもないのに、
緊張してしまう。
授業参観で隣の方に話しかけられた時、
PTAの活動中、
若干の怖さを押し殺して、私はへらへらしている。
このへらへらは犬で言ったら
この行為だ。
特に話をしなくても顔を見ただけで、
緊張してしまうのは何故なんだろう。
孔雀のオスがより派手な模様のオスの前に敗北感を覚え、順位が決まるように
鹿が角の立派さで優劣を決めるように
どこを見てそう思うのかはわからないけど、
自分より強い人は顔を見ただけでわかる。
まるで見えないスカウターがついているかのように。
私は今年はどんな時でも自分でいたい。
自分の好きなものを大きな声で好きといいたい。
41にもなって掲げる目標なのか、とも思うが
今年は自由に自分が思うまま、
いつでも自分らしくいられるようにしたい。
変わりたいのだ。
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