20代の頃は朝の身支度に小一時間かかった。
朝起きて、シャワーを浴びて髪を洗う。
いつもいい匂いをさせていたかった。
不器用ながら髪もブロウしていたし、
服装にも気を配ってた。
モテたかった。
今は朝起きて、ゴムで一つにくくるだけ。
武士のようなワイルドさ。
はねていても、絡まっていても
縛ってしまえばわからない。
あの頃は囲み目メイク全盛期、
黒々と目を囲って、マスカラも重ね塗り。
朝弱いくせに、長々と化粧するもんで
遅刻しそうになっては新宿駅をハイヒールで全力疾走しては、よくヒールを折っていた。
モテたかった。
今は朝起きて顔を洗えば出勤可能。
2分でオッケー。
顔を洗うのもスキンケアというより、
ほぼ目やにをとるためだけだ。
別に私お母さんだから、とかではない。
(実際あの歌は私もちょっぴりムカついた。)
どうせ職場にいけば、マスクをして
ここしかみえないからだ。
まつげエクステをしているので
眉毛だけ書けば大丈夫じゃね?
と思ってしまうからだ。
見えない場所に手はかけない。
何という効率化。
何というミニマリズム。
(元々の顔がそもそもミニマムだというのに。)
とにかく若い頃は
自意識過剰で人目を気にしていた。
モテたかった。
だから地味ながら懸命に装っていた。
要は私が人からよく見られたい、ということを
メインに考えて装っていたので
おばさんになって人目が気にならなくなったら
モチベーションが続かなくなってきたということだ。
最近仕事が忙しい。
年末忙しかったのと同じ理由で、年度末も歯医者は混んでいる。
入学、転勤、新生活に向けて万全でありたいと準備する方々の一助となれることは喜びでもある。
喜びではあるがボロボロだ。
忙しい中でも最低限の家事はしなくてはならないし、
もっともっと家族と遊びたいし、
ブログも書きたいし読みたい。
体力、気力が衰えて
やらなくてはいけないこと、やりたいことが
こなせる量を超えてきて
己の美にかける時間や手間ヒマがこぼれ落ちて行ってしまう。
人のために装わない私は自由だ。
ありのままでいいではないか。
そう思いながらも鏡に映る自分は
とてつもなく不本意だ。
体重は
ずっと重いままだし
お肌の調子も
全然いけてない。
全くため息しかでない。
あきらめたらそこで試合終了だと安西先生もおっしゃっていたのに。
すっかり諦めモードのこの頃だったが
今日道端に咲くタンポポをみて
昔は地味ながら懸命に装う花だったのに
今の私は綿毛が飛んでいったあとのこれかも、と・・
こちらに感情移入している自分に気づき、愕然とした。
今まで色々なものに自分を重ねてきた。
でもこれに自分を重ねてしまうというのは
さすがに女性としてかなりまずい気がする。
ありのまま、ヤバし!
ここは田舎だし、
私も41だし。
急に身なりに気をつけたところで
患者さんとして田中圭が来院したり、
電車の隣の席に座ったのがたまたま長瀬智也だったり、
通りすがりの長谷川博己に
と誘われたりというような
素敵な出会いなんかはまず、起こらないだろう。
でも人のためでなく
自分のために、自分が気分良く過ごせるくらいには
今よりはもうちょっと
もうちょっと美しくあろうと努力することは必要かもしれない。
「あくまで測りは自分の中にある。
自分の限界を見ながらちょっと超えていくことを繰り返していく。」
45歳まで第一線で活躍し続けたスーパーヒーローの声を聞きながら
ごちゃごちゃ色々なことを考えて
我が身を反省した春の日の午後。
頑張る。明日から。
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