昨日は長崎原爆の日だった。
私にとって、戦争も原爆もはるか遠いことのように感じられるが
うちのクリニックを受診される方の中には原爆手帳を持っていらっしゃる人もいたりして
そう遠くない昔、確かにこの地でおこったことなのだ、と
改めて身震いするような思いになったりする。
小学校には時々戦争体験を語り伝えてくださる方がきて、
まだ若いコペルやコケシも貴重な話を聞かせていただく機会があるようだ。
8月9日は夏休み期間中ではあるが、
長崎の小学生は必ずこの日は登校して平和集会に参加する。
ジョニーさんが子どもの頃からそれはずっと変わらないらしい。
皆で集まり、原爆についての講話を聞き
戦争の恐ろしさ、命の大切さについて考え、
平和の歌を歌い、祈る。
それが日曜日であっても関係なく、必ず登校日となるので
長崎に越してきた当時は少なからず驚いたりもした。
何より優先と小さい頃から繰り返し教えこまれる。
それだけ長崎県民にとってとても大切な1日なのだ。
それが今年はコロナの影響で取りやめになった。
仕方ないこととはいえ、残念である。
だから今年は家族揃って迎えた原爆の日であった。
私の住む市では原爆の落ちた11時2分にはサイレンが鳴る。
仕事をしていても、遊んでいても、
大人も子どもも皆しばし手を止めて
目を閉じ、黙祷する。
私達も75年前のその時に想いを馳せた。
今頭の上に原爆が落ちてくることを想像する。
亡くなった子の中にはコペルと同じ年頃の少年もいただろう。
コケシのような小さな女の子もいただろう。
苦しかっただろうな。
無念だったろうな。
このなんでもない日々が失われることを想像する。
絶対にいやだ。
耐えられない。
75年もの時がたち、こんなに技術が発展したのに
毎年毎年「2度と繰り返してはならない」といいながら
まだ核爆弾をこの世から根絶できない人間の愚かさを考える。
今年は記念式典も一般の参列者を制限して
規模を縮小してとり行われたらしい。
長崎新聞に平和記念公演の実物大の地面が掲載されていた。
今年の平和記念式典は家で行われます。
(と、想像してみよう)
普段新聞はとっていないのだが、立ち寄ったコンビニで見かけ
その粋な心遣いに心を打たれ、買ってきた。
裏面にはこう書かれていた。
世界が平和になりますように。
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