息子の学校でウソ告なるものが流行っているらしい。
ウソ告とはウソの告白。
ターゲットを呼び出し、
ウソの告白をして
それを真に受けた相手の反応を笑い、
からかうというタチの悪いイタズラ。
自分の知らないところで誰かが自分を見ていてくれたり
思いを寄せていてくれたりするのって
その思いに応えられるかどうかは別としても
やはり嬉しいことであると思う。
その純粋な気持ちを弄び、指を刺して笑うなんて…
実に悪趣味で品性下劣。
罰ゲームのように
ウソ告を強要することすらあるようで
イタズラというより、これはもはやイジメの範疇であると思う。
意に染まぬ告白を強いられた側のストレスや罪悪感もさることながら、
騙された上、自分に告白することが罰ゲームの扱いであると知った
ウソ告を受けた側の子のショックはいかばかりであろうか。
もうホントやだ。許せない。
このウソ告は数年前より全国の中学、高校で流行している現象のようだ。
LINEなどSNS上で行われることもあるらしく、
そうした場合、より罪悪感も希薄に
よりゲーム感覚になっているだろうことが予想される。
ブラックトマレが出ちゃう。
時代に合わせて形態は多少変わっているけれど
この手のことは昔から
それこそ私が学生時代からあったような気がする。
今どきの子供達が殊更悪くなったのではなく
いつの時代にも、どんな集団にも
歪んだ劣等感やストレスを他人にぶつけずにはいられない弱い人間はいるのだ。
そうか、それは悲しい事を聞いてすまんかった。
他人を踏みつけることで
自分が上に立ったように感じるのは錯覚だ。
そして言われた側の心の痛みに想いを巡らす想像力が、
相手の身になって考える共感力が、
圧倒的に足りていないのだ。
つまり、ただただ…
こんなことが日常的にまかり通る世界では
本当の信頼関係は築けない。
それは回り回って自分の首を絞める行為だというのに。
自業自得だけどね!
腹が立って仕方がない。悲しくて悔しい。
相手もまだ未熟な子ども達なのだと思っても到底許すことができない。
虐めは虐めている方が一方的に悪いのであって
虐められた方が自分を省みる必要などない。
子供のことであっても悪質な場合にはいつでも保護者として前に出ていって守るつもりだし、それなりの手段もとる。
常々そう考えてはいるけれど
やはり今後降り注ぐ全ての悪意から子どもを保護することができるはずもなく…
子どもが自分に向けられた悪意にうまく対処できるよう、
その切り抜け方を身につけさせる必要があるなと思った。
残念ながら世の中はいい人ばかりではないし、
ときには一方的にいわれなき悪意をぶつけられてしまうことだってある。
でもそれは君たちのせいじゃない。
だから反省も歩み寄りもいらない。
全ての人と仲良くしたり、全ての人に分かってもらう必要なんてないし、
嫌な事を言ってくる人からは距離をとっていい。
関係ない人の暴言を真っ向から受け止める必要もない。
華麗に受け流せるスルースキルを身につけて欲しい。
私なんて四十過ぎたいまでも他人が怖いし、
他人の言葉に揺れて落ち込んだりするし、
難しいけどね。
でも一番大切なことは
辛い気持ちは信頼できる人に打ち明けること。
そして誰かに助けを求めること。
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