ほうれい線上のアリア

愉快にお気楽に生きていきたい。北野トマレの日常。

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映画「もののけ姫」の名言の話

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録画してあったもののけ姫を見た。

 

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もちろん以前にも見たことがあるが、

テレビ放映がある度にやはり見たくなって繰り返し見てしまう。

美しいアニメーションにエモーショナルな音楽、壮大なストーリー。

何度見ても感動する。

 

 

子どもと一緒に時間をおいて、何度も何度もジブリ作品を見ていると

その時々の自分の境遇やコンディションによって心に響くシーン、セリフがいつも違うのを感じる。

 

 

子ども達も

例えばまだ幼い娘なんかは「サンがカッコイイ」と惹かれ、自然を破壊し支配しようとする人間の欲深さに怒り、完全にサンや森の生き物サイドに感情移入して視聴しているようだが

中学生の息子くらいになると、

より良い暮らしを手に入れようとあがくタタラ場サイドの人々にもいい分や彼らなりの正義があることに気づいているようである。

 

 

自分の成長と共に映画から受け取ることのできるメッセージも変化していくからこそ

ジブリ映画は何度みても飽きないし、世代を超えて楽しめるのであろう。

 

 

 

今回は私はエボシ御前がアシタカに向かって言った

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という言葉にグッときた。

 

 

まぁ、作中のアシタカは死に至る程の呪いを受けたわけで、「僅かな不運」と切り捨てるのは少々かわいそうではあるし

アシタカが我が身の不運を見せびらかしていたとは決して思わないけれど

確かに明日の生死をも知れぬ者は、特にあの物語の世界にはたくさんいて

不運から救われたいのはアシタカばかりではない。

 

 

生まれた境遇や理不尽な差別、病気や貧困、降りかかってくる色々な不運と戦って

タタラ場の人々の生活を守っているエボシにはアシタカが世間知らずの甘ちゃんに見えたのだと思う。

 

 

あの映画のエボシが善か悪か、という話は別にして

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この言葉、今の自分に刺さった。

 

 

こんなコロナ禍であれば不運や不満には事欠くことがない。

己の不運に目を向けて自己憐憫に浸るのは簡単で気持ちがいい。

それを他人にアピールして、同情をひくことも。

 

 

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コロナじゃなければ、とかコロナのせいで、とかいつも愚痴ってしまう。

 

 

でも生きていれば不運は多かれ少なかれ誰にでもあることだ。

「だから我慢しろ!」とか「だから大したことない」ということではなくて

自分を憐れんで立ち止まるな、跳ねのけるために動け!と叱咤激励する言葉として感じられたのだ。

 

 

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単純に語感もカッコいい。

 

 

というわけで我が家の中(で特に私とコペルの間)では

今この言葉がめちゃくちゃ流行っている。

 

 

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でも人に向かって言い放つとちょっと殺伐としちゃうので御用心。

自分を奮い立たせるために使うならいいけどね。

 

 

 

 


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