ほうれい線上のアリア

愉快にお気楽に生きていきたい。北野トマレの日常。

スポンサーリンク

今年は黄色い帽子のおばさんになるのが目標という話

黄色い帽子のおじさんを知っているだろうか。

 

f:id:kitano-stop:20230108171747j:image

彼はおさるのジョージに登場するキャラクター。

 

おさるのジョージはニューヨークのアパートでおじさんと暮らす子猿の日常を描いた子ども向けのアニメーションだ。

 

土曜日の朝eテレで放送されている他

Amazonプライムでも視聴することができる。

うちの子供たちは大きくなってしまったので最近は滅多に見ることはないが、小さい頃はよく見ていたように思う。

 

 

 

だから私も彼のことをキャラクターとしては知っていた。

f:id:kitano-stop:20230108175039j:image

お話もなんとなく流し見たことはあったが、しっかりと見たことはなかった。

あまりにも優しい平和な雰囲気から

お猿のかわいさと、たわいない日常を見て楽しむだけの単純な幼児向けのアニメーションだと決めつけていたのだ。

それがこの間お正月の帰省中、甥っ子と一緒に何気なくこれを視聴して震えるほど感動してしまった。

 

f:id:kitano-stop:20230108181334j:image

彼の凄さは育児経験者の間では有名らしく

Twitterでその驚きを呟いたところ、フォロワーさんに今頃気づいたんですか?と言われてしまったのだが

私的にはとにかく衝撃だったので今日はその感動を語らせて欲しい。

 

 

 

あのね…、

f:id:kitano-stop:20230110164605j:image

彼は凄い。

 

 

 

いや、あんな全身黄色のファッションを貫いているところからもちょっと普通じゃないことは伝わってくるが、それだけでなく

f:id:kitano-stop:20230110174232j:image

心が果てしなく広い。

 

 

おさるのジョージを見たことがある人ならご存知だと思うが、

ジョージは好奇心のおもむくままに行動しては

相当なアクシデントを引き起こす。

部屋をめちゃくちゃにするのは日常茶飯事。

アパート中を水浸しにしたり、

部屋中を足跡だらけ、泥だらけ、ペンキだらけにしたり

ドーナツを買いに行けば100ダース注文して

果ては船は流すわ、ビルは倒すわ、

そりゃあもうちょっとシャレにならないくらいのありとあらゆる困ったことをする。

 

f:id:kitano-stop:20230110165311j:image

もはやいたずらというより災害。

 

それでもおじさんは怒らない。

びっくりしたり、理由を聞いたりすることはあるけれど怒りはしない。

その寛容さには恐れを感じるほどだ。

 

 

5歳の息子と共におさるのジョージを常々見ている

トマレ妹は言う。

「子育てをしていると、程度は違えど似たようなことがおこることがあるでしょう?

でも私はいつもギャーギャー騒ぎっぱなし。

こんなふうに寛大な心で子育てできたらいいなって常々憧れているのよ。」

f:id:kitano-stop:20230110180908j:image

 

凄まじい惨状を目の前にして、おじさんはジョージの発想や好奇心、小さな成功を誉めるらしい。

確かにジョージの行動は純粋な探究心や優しさからきていることが多い。

でもいつも良かれと思って行動した結果、

f:id:kitano-stop:20230110183603j:image

いくら悪気ない行動だからといって

少しもイラつかずにいられるものだろうか。

 

 

だって精神的ショックもさることながら、経済的にも大打撃であることと思う。

このドーナツ100ダースだってどんなに少なく見積もっても十数万は請求されることだろうし

部屋中水浸しともなれば絨毯、ソファ、壁紙に床板…

現状復帰にいくらかかるのか、想像するだに恐ろしいくらいだ。

 

 

f:id:kitano-stop:20230110230330j:image

ニューヨークでドアマン付きの部屋数も多い大きなアパートに住んでいるし、

田舎に別宅も持っている様子。

博物館の学芸員だという話だが、そんなにお給料が高いのだろうか?

f:id:kitano-stop:20230110230631j:image

謎は尽きない。

 

理由はどうあれ、その狂気じみた優しさに惹きつけられ

正月から隙間時間を見つけてはアマプラで「おさるのジョージ」を視聴している。

今シーズン1と映画を見終わった。

 

 

黄色い帽子のおじさんはその映画の中で

博物館を訪れた子どもらに

f:id:kitano-stop:20230111002300j:image

こんな事を言っていた。すっごくステキな言葉じゃない?

だからおじさんはジョージの好奇心を大事にし、

例え失敗しようとも経験から学べるよう

ただ愛を持って見守っているのだ。

 

 

親としてこんなに憧れる姿はない。

きっとこのお話は子どもに対しては

そのオープニングで歌っているように

「ジョージのように好奇心のおもむくまま、なんでもやってみよう」

と背中を押し

親に対しては

「おじさんのように子どもを信じて見守りましょう」という教訓を示してくれているのだ。多分。

 

 

 

ホルモンバランスの乱れからか

老化による前頭葉の萎縮なのか…

子どもに対してのみならず、

最近誰に対してもイライラしがちで何かと狭量な自分を感じるのだが

今年は彼の姿を常に胸に抱き、彼だったらどうするかを常に自分に問いかけながら、彼のように生きたい。

 

 

どんな状況に置いても、穏やかに…経験から学ぶチャンスと考える。

簡単には怒らない。

f:id:kitano-stop:20230111004946j:image

 

そう決意して

f:id:kitano-stop:20230111005358j:image

メルカリでぬいぐるみとマスコットを買った。

常に黄色いおじさんをそばにおいて

今年は少しでも黄色くなれるよう頑張っていきたい。

そう思っているのだ

 

 

 


日記・雑談(40歳代)ランキング

↑応援していただけると嬉しいです

 

 

にほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ
にほんブログ村

 

↑いつもありがとうございます

 

 

気軽にコメントやブクマにて足跡を残してくださると嬉しいです。 いつもありがとうございます。 とても励みになっています

「映画ドラえもんのび太の宇宙小戦争」を見てきた話

先週末、子ども達とこの間公開されたドラえもんの新作映画を見てきた。

1985年版の映画のリメイクで、

「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争」だ。

 

 


www.youtube.com

 

これが本当に凄くて、私の中では最近のドラえもん映画の中では一二を争う良作だと思ったので

今日はその感想を書かせてほしい。

 

 

 

以下映画の内容に触れます。ネタバレありです!

 

私が書くまでもなくネットでは

「現在の情勢と重ねてしまった」との声で溢れかえっているのだが、

 

 

 

見終わって映画館をでた瞬間に

f:id:kitano-stop:20220316153538j:image

と叫んでしまったくらい

本当に今、タイムリー過ぎる内容となっている。

 

 

 

この映画は

クーデターを起こした独裁者に追われ、地球へと逃げのびてきた少年大統領パピとのび太が出会い、

友だちとなった彼のために、共に故郷を取り戻すべく武器をとって戦う話、なのだ。

 

 

これはコロナ禍の影響で公開が一年伸びた作品。

去年の段階では戦争の開始など予見できなかったし、そもそもこれは以前の作品のリメイクだ。

今の情勢を意識して作られたものではない。

 

 

 

だから全てたまたまで、全くの偶然なのだが、

わざと一年公開を遅らせて

わざとこの時期にこの話を持ってきたんじゃないかと思いたくなるくらい

f:id:kitano-stop:20220316175314j:image

物語が現実の出来事とぴったりとリンクしている。

 

 

もう冒頭、パピの住むピリカ星が独裁者ギルモアに攻撃をうけている戦争のシーンから胸がザワザワしちゃう。

突然奪われる日常、引き裂かれる家族、市街地を進む戦車に悲鳴…

これはアニメの中の架空のお話であるが

最近ニュースで目にした現実の光景でもある。

 

 

パピが胸から下げているペンダントも

偶然にも

f:id:kitano-stop:20220316185022j:image

 

 

独裁者ギルモア率いる敵の組織の名も

f:id:kitano-stop:20220317163315j:image

だったりもして

 

「これは春のお楽しみ、一年に一度のドラえもん映画なんだからフラットな気持ちでたのしもう!」と思ってはみたものの、

f:id:kitano-stop:20220317163732j:image

どうしても関連付けて考えてしまう。

 

 

 

大統領であるパピの元には追手がかかる。

国民の支持の高いパピ自ら政権を譲ると宣言する様子を放映して

国民の不満を押さえつけたいというのがギルモアの狙いだ。


(自分に都合の良い嘘を真実であるかのように流して情報を操作するやりくちも誰かに似ているよね…)

 

 

地球ののび太達を巻き込んではいけないとパピは一人で解決しようとするのだが

のび太は友達のパピを助けてあげたい、と迷わず手を伸ばし、

f:id:kitano-stop:20220317172259j:image

ジャイアン、しずかちゃんも賛同する。

 

 

そして映画版ドラえもんでは毎度おなじみの

お約束シーンだが

スネ夫は決戦前夜に怖気付き、一度逃げる。

 

いい意味で「子ども」な他のメンバーと違って、多分彼は勝算の低さや失敗した時のデメリットを冷静に見渡せるがゆえに迷うんだと思う。

毎回きっちり弱音を吐くちょっとヘタレなスネ夫

「お、やっぱり怯んでいるな!」と微笑ましく見守るのが常なのだが

今回ばかりはうずくまる彼の姿に、胸をつかれるおもいだった。

 

 

友だちの国が攻め込まれて困ってる。

なんとかしてあげたい、このままじゃいけない、そんなことスネ夫だってわかってる。

 

でものび太ジャイアンのように

じゃあ僕らも一緒に戦うよ!と

誰もが迷いなく立ち上がって戦車に乗り込めるのかといえば…

 

f:id:kitano-stop:20220317174717j:image

そうじゃないし、そうじゃなくていい。

 

 

仕方ないよ。怖くて当然だよ。

子どもにこんな決断を迫る世界がおかしいんだよ。

 

 

なんだか泣けてしまって仕方なかった。

 

 

 

そんなスネ夫にしずかちゃんが

 

f:id:kitano-stop:20220317180503j:image
「誰だってやれるだけのことをやるしかないのよ!」…と

 

(細かいセリフは違うかもしれないけど)こんなことを言う。

 

そしてスネ夫はしずかちゃんに背中を押され、勇気をだしてたちあがるのだ。

 

 

 

今回の映画からは様々なシーンで色々な立場にいるキャラクターが

「それぞれがやれるだけのことをやる」姿を通して

繰り返しこのメッセージを伝えてくれる。

 

 

別に戦争に限らず、どうしていいかわからないような大きな問題にぶつかった時、

自分の小ささや無力感に打ちのめされた時、

諦めることなく全力を尽くすことの大切さを子ども達に伝えてくれているのだと思う。

 

 

のび太も劇中でこんなことを口にする。

f:id:kitano-stop:20220318101530j:image

凄くステキな言葉だ。

 

 

確かにのび太は大活躍できるような特別な才能は何も持っていない。

でも自分ではない誰かのために涙をながせる優しい子だ。

そして物語の最後に実際のび太

ギリギリのところで我が身をかえりみず手を伸ばす、という彼の優しさを持ってパピを救うのだ。

 

 

 

今の私にやれることはなんだろう。

私にも他の誰かより上手にできる何かがあるかしら。

そんなことをかんがえながらみていたら情緒がめちゃくちゃになって涙が止まらなかった。 

 

 

f:id:kitano-stop:20220318102445j:image

 

今回は社会情勢もあって大人は↑こんな感じになってしまうのだが、

もちろん戦いのシーンばかりでなく

ドラえもんらしく秘密道具を駆使した夢のある展開も沢山ある。

 

 

このパピくんは手のひらサイズの小さい小さい種族であるので

スモールライトでのび太達も一緒に小さくなってラジコンに乗って遊んだり、

山のようなおやつを食べたり

f:id:kitano-stop:20220318112811j:image

しずかちゃんのドールハウスを秘密道具で改造してパピくんのお宿にしたり…

 

小さな子どもさんも多く来場されていたが、

みな笑顔で楽しんでいた。

 

見終わったあと家族で

この道具を使ったらもっと早く解決できたんじゃないか、というプレゼンをしあうのもとても楽しい。

 

f:id:kitano-stop:20220318114149j:image

f:id:kitano-stop:20220318114436j:image

 

子どもから大人までみんなで楽しめて、

そして考えさせられる映画だった!

おすすめだ。

 

 


日記・雑談(40歳代)ランキング

↑応援していただけると嬉しいです

 

 

にほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ
にほんブログ村

↑いつもありがとうございます

 

気軽にコメントやブクマにて足跡を残してくださると嬉しいです。 いつもありがとうございます。 とても励みになっています

 

 

 

もののけ姫のアシタカの話

前回のブログを更新した後、

ジョニーさんにもののけ姫について思うことを話していたら意外と盛り上がったので、

 

例の名言以外に心に響いたシーンやずっと気になっている点など、

考察というほどでもない浅く雑多な所感を書いていきたい。

 

 

まず、私はもののけ姫が大好きで素晴らしい作品だと思っているのだが

まだ若かれしあの頃、はじめてみたあの時から

f:id:kitano-stop:20210902211149p:image

宮崎監督ごめんなさい。

 

 

 

いや、アシタカはめっちゃカッコイイのだ。

ジブリ映画の中でもそのかっこよさはハウルと双璧をなすと思っている。

 

 

f:id:kitano-stop:20210902152809p:image

高らかに名乗るアシタカ、とか

 

 

f:id:kitano-stop:20210902153006p:image

ちょっと強引なアシタカ、とかは

その凛々しいかっこよさに思わず手を合わせて拝みたくなっちゃうくらいだし…

 

 

 

f:id:kitano-stop:20210902155248p:image

飛んでくる矢をキャッチする人間離れしたアシタカ、とか

 

 

f:id:kitano-stop:20210902175419p:image

右腕に呪いを宿した中二っぽいアシタカ、とかには

憧れずにはいられないヒーロー感がある。

 

 

 

さらに負傷して、喉元に剣を突きつけられながらも

f:id:kitano-stop:20210902193527p:image

どえらい殺し文句を叩きつけてくるアシタカときたら、

もうとんでもなくけしからんアシタカだ。

なんなの?本当はイタリア人かなんかなの?怖い。

 

 

どんなシーンにおいてもアシタカは強く優しい正義のイケメン。

非の打ち所がないくらい本当にステキ。

白馬に乗った王子さまなんて、どこにいるんだろうっていつも不思議に思ってたけど、いた。こんなとこにいた。

乗っているのはヤックルだけど。

 

とにかくアシタカが超絶にかっこいいのは疑いようのない事実なのである。

 

 

 

でもさ、何回見ても忘れられないの。

初めてもののけ姫を見た時、

カヤからもらった想いを込めた小刀を

f:id:kitano-stop:20210902212352p:image

あっさりサンにあげてしまったのをみた時の衝撃と戸惑いを。

 

 

カヤちゃんはアシタカの婚約者だったんでしょ?

カヤちゃんはアシタカを思っていたんでしょ?

それで村を出て2度と会えなくなるアシタカの無事を祈って、お仕置き覚悟で送った大切な小刀なんでしょ?

 

f:id:kitano-stop:20210902213215p:image

 

もちろんもう二度と村には戻れないんだから

ずっとカヤを思って独り身でいろなんていわない。

 

だけど「いつも思おう」と口にしたその舌も根の乾かぬうちに

サンに出会ってあっさり惹かれて…。

 

 

いや、切り替え早いな!とか、ちょっと思ったけどさ

まぁサンは特別気高く美しくて、アシタカに強烈な印象を残しただろうからから仕方ないのかなと思って見ていたら

 

f:id:kitano-stop:20210902233942p:image

山犬にポーンって。

 

 

小刀投げちゃうのかよ!サンにあげちゃうのかよ!カヤの想いはどこいっちゃうんだよ!って。

f:id:kitano-stop:20210902234322p:image

私の中に永遠に住んでいる喪女が浮気なイケメンを感知して強烈なアラートを鳴らすもんで…

どうしてもアシタカに感情移入できなくなってしまうのだ。

 

 

しかも最後アシタカはタタラ場にのこる。

 

 

「サンは森で私はタタラ場で暮らそう。ともに生きよう。会いにいくよ。ヤックルに乗って…」

カッコイイ台詞だ。

 

 

人間のコミュニティに背を向けるわけでもなく、

森と対立するわけでもない。

共に生きていく。そのバランスを探る。

どちらの立場も否定せず、認める。それがアシタカらしいとは思うんけど

何もかも捨ててサンと共にいかないのか、って少しガッカリしちゃうというか

どっちつかず、というか…

 

 

f:id:kitano-stop:20210902235244p:image

…って思っちゃうの。

 

こんな美しく奥深い名作に対してこんな下世話な感想を抱いてしまって本当に申し訳ないが、

カヤの小刀問題に関しては多分同じように引っかかってる人は多いと思う。

 

 

この小刀問題のみならず

アシタカへの文句だけでなく、エボシ様の実写化は天海祐希さん一択である話とか

 

前に見た時に心に刺さった他の名言の話とか

 

家でアシダカグモを見るたびに心の中で「我が名はアシダカ!」ってアテレコしちゃう話とか

 

太宰府天満宮の大楠にはもののけ姫感があると思う話とか

 

 

もっと色々書きたいと思っていたのだけど長くなってきたので、今日はここまで。またいつか機会があれば…

 

 


日記・雑談(40歳代)ランキング

↑応援していただけると嬉しいです

 

 

にほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ
にほんブログ村

↑いつもありがとうございます

 

 

気軽にコメントやブクマにて足跡を残してくださると嬉しいです。 いつもありがとうございます。 とても励みになっています

映画「もののけ姫」の名言の話

録画してあったもののけ姫を見た。

 

f:id:kitano-stop:20210831190302p:image

 

もちろん以前にも見たことがあるが、

テレビ放映がある度にやはり見たくなって繰り返し見てしまう。

美しいアニメーションにエモーショナルな音楽、壮大なストーリー。

何度見ても感動する。

 

 

子どもと一緒に時間をおいて、何度も何度もジブリ作品を見ていると

その時々の自分の境遇やコンディションによって心に響くシーン、セリフがいつも違うのを感じる。

 

 

子ども達も

例えばまだ幼い娘なんかは「サンがカッコイイ」と惹かれ、自然を破壊し支配しようとする人間の欲深さに怒り、完全にサンや森の生き物サイドに感情移入して視聴しているようだが

中学生の息子くらいになると、

より良い暮らしを手に入れようとあがくタタラ場サイドの人々にもいい分や彼らなりの正義があることに気づいているようである。

 

 

自分の成長と共に映画から受け取ることのできるメッセージも変化していくからこそ

ジブリ映画は何度みても飽きないし、世代を超えて楽しめるのであろう。

 

 

 

今回は私はエボシ御前がアシタカに向かって言った

f:id:kitano-stop:20210901181429p:image

という言葉にグッときた。

 

 

まぁ、作中のアシタカは死に至る程の呪いを受けたわけで、「僅かな不運」と切り捨てるのは少々かわいそうではあるし

アシタカが我が身の不運を見せびらかしていたとは決して思わないけれど

確かに明日の生死をも知れぬ者は、特にあの物語の世界にはたくさんいて

不運から救われたいのはアシタカばかりではない。

 

 

生まれた境遇や理不尽な差別、病気や貧困、降りかかってくる色々な不運と戦って

タタラ場の人々の生活を守っているエボシにはアシタカが世間知らずの甘ちゃんに見えたのだと思う。

 

 

あの映画のエボシが善か悪か、という話は別にして

f:id:kitano-stop:20210901130758p:image

この言葉、今の自分に刺さった。

 

 

こんなコロナ禍であれば不運や不満には事欠くことがない。

己の不運に目を向けて自己憐憫に浸るのは簡単で気持ちがいい。

それを他人にアピールして、同情をひくことも。

 

 

f:id:kitano-stop:20210901132037p:image

コロナじゃなければ、とかコロナのせいで、とかいつも愚痴ってしまう。

 

 

でも生きていれば不運は多かれ少なかれ誰にでもあることだ。

「だから我慢しろ!」とか「だから大したことない」ということではなくて

自分を憐れんで立ち止まるな、跳ねのけるために動け!と叱咤激励する言葉として感じられたのだ。

 

 

f:id:kitano-stop:20210901132547p:image

単純に語感もカッコいい。

 

 

というわけで我が家の中(で特に私とコペルの間)では

今この言葉がめちゃくちゃ流行っている。

 

 

f:id:kitano-stop:20210901153728p:image

f:id:kitano-stop:20210901160641p:image

 

 

f:id:kitano-stop:20210901160647p:image

f:id:kitano-stop:20210901175550p:image

 

でも人に向かって言い放つとちょっと殺伐としちゃうので御用心。

自分を奮い立たせるために使うならいいけどね。

 

 

 

 


日記・雑談(40歳代)ランキング

↑応援していただけると嬉しいです

 

にほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ
にほんブログ村

↑いつもありがとうございます

 

 

気軽にコメントやブクマにて足跡を残してくださると嬉しいです。 いつもありがとうございます。 とても励みになっています

 

「劇場版ポケットモンスターココ」を見てきた話

ご覧いただきありがとうございます。

はじめましての方、もしよろしければこちらからどうぞ。

↓登場人物紹介

 

 

お正月に劇場版ポケットモンスター ココ」をみた。

 

 

予告編を見た時からまぁ、これは絶対親を泣かせてやろうとして作られてるわよね、と思っていたから

なんとなく製作者の意図のままに反応してしまうのは悔しくて、

 

f:id:kitano-stop:20210107234740j:image

やっぱり全然ダメで

 

 

f:id:kitano-stop:20210107235842j:image

音楽にやられる。

 

 

凄く良くて、感動して

なんなら特典で配布された「父ちゃんザルード」使いたさに

「ゲームのポケモンを始めようか」とさえ思ってしまったくらいだったので

 

f:id:kitano-stop:20210108101138j:image

ブログに書くことにした。

 

 

ポケモン映画ってガチのポケモンファンか、

子ども連れでもなかったら見に行かなくないだろうか?

もちろん大人気のコンテンツで、だからこそ毎年定期的に映画が作られているのだと思うのだが

ディズニーやドラえもんほど大人の見るものとして認められていないというか…

私も子どもと一緒だから行ったけど、

そうでなければ選択肢にすらのぼらなかったと思う。

 

 

ポケモン映画が単純に映画として

こんなにクオリティが高くて面白いだなんてみんな知ってる?

f:id:kitano-stop:20210108104407j:image

そうか私だけか。

 

 

とにかく世に知られなくてはもったいないと感じるほどステキだったのでその感動をお伝えしたい。

 

 

 

以下ネタバレあり。ご注意を。

 

 

このお話はザルードというサルのようなポケモン

森で人間の赤ん坊を拾って育てる、という

人間とポケモンの異種間での親子愛のお話。

 

 

 

ザルードってこんな感じの

f:id:kitano-stop:20210108110048j:image

大きいポケモン

正直あまり可愛くない。

 

 

 

ザルードは密林の中で癒しの力をもつ聖なる泉を縄張りにして

他のポケモンや人間の関わりを断ち、

厳しい掟を守って群れで生活している。

掟ではもちろん人間を縄張りに入れることなんて許されない。

でもそのザルードは赤ん坊を見捨てられず
森の掟に背き、群れを離れてふたりで暮らすことを決意。

赤ん坊にココと名付け、育てはじめる。

 

 

 

オープニングでココが赤ちゃんから少年になる育児の過程が音楽に乗せてざーっと流れていくんだけれど、

まず、ここでもうこのかわいくない父ちゃんザルードに親近感でいっぱいになってしまう。

 

 

 

父ちゃんザルードが赤ちゃんを迎えても安全なように巣を整えようと奮闘している場面を見れば、

子供のために我が家の角という角にクッションをつけ、床にジョイントマットを敷いていたあの頃を思い出すし、

 

 

 

そんな準備をしている間にもココが転んでワタワタしたり、

ちょっと目を離したら高いところから落ちそうになって、慌ててココをキャッチするシーンには

 

 

f:id:kitano-stop:20210108115546j:image

分かる、分かると彼の肩でも抱きたい気持ちになってしまう。

 

 

 

他にも父ちゃんに抱かれたココが

その小さな手で父ちゃんの毛を掴んでたりするところとか

f:id:kitano-stop:20210108104624j:image

 

 

目覚めたらココがポケモンとそこいらを燃やしているいたずらのシーンまで

ポケモンの生活なんだけれどなんだかどこかでみたような

私の知っている光景なのだ。

 

 

 

可愛くないと思っていた父ちゃんザルードは

あっという間に自分そのものとなり、

f:id:kitano-stop:20210108134640j:image

ここから私はずっと父ちゃんの気持ちで物語の世界に没入した。

 

 

 

やがてココは少年になり、いっこうに父ちゃんのようにならない自分に戸惑いを覚える。

ザルードの群れはココを仲間とは認めてはくれないし、

肉体的にもザルードとは異なる。

そしてさらに他のポケモンと仲良くしたいと思ってしまうココの心の有り様は排他的なザルード達とは決定的に違っていた。

 

 

 

みんなと違う自分にどこか不安を感じながら

いつか大好きな父ちゃんのようになりたいと憧れるココと

それを見つめる父ちゃんの眼差し。

 

ココの腕に蔦が生えてくることはないって

父ちゃんは知ってるし、

本当の父親でない、ましてや人間でもない自分がココの父親でいいのか、

ちゃんと父親でいられているのか、いつも自問している。

f:id:kitano-stop:20210109003146j:image

ちゃんと母親をやれているか、私もいつも不安だもの。

本当の親でなくて種族さえ違うのならなおさら揺らぐわよね。

 

 

 

そんなときココは旅の途中のサトシとピカチュウに出会い、友達になる。

自分と同じような姿形をして、ポケモンは友達なんだと語るサトシ。

初めて出会う人間。たくさんの共通点

 

 

ちなみにこのサトシとココが友達になるシーンはとても面白い。

ココはポケモンの言葉を話しているので

父ちゃんとは普通に会話をしていたココの言葉は

サトシからは

「ザルザルザルード」としか聞こえないのだ。

f:id:kitano-stop:20210109010343j:image

 

ポケモン同士は違う種族であってもお互いの言葉が

わかるので、

サトシのいいたいことをピカチュウが長年の付き合いで汲み取り、通訳。

それを聞いたココがザルードのことばで答え、

ピカチュウがサトシに伝える。

f:id:kitano-stop:20210109011501j:image

ピカチュウの伝わってるんだか伝わってないんだか分からないへっぽこ通訳ぶりがめちゃくちゃ可愛い。

 

 

とにかくココはサトシにジャングルの外に広がる人間の世界を教えられる。

そして自分も人間であるということに気づくのだ。

 

 

この後自分は何者なのか、ポケモンなのか、人間なのか揺らぐココが

サトシとともに本当の両親を探すパートを経て

 

f:id:kitano-stop:20210109113554j:image

 

泉の癒しの力を狙って侵掠してきたゼッド博士と戦う物語のクライマックス。

 

この戦闘シーンも蔦を使ったワイヤーアクションがスパイダーマンかターザンのようでスピード感と迫力に溢れていたし

普段は半目しあっていたザルードとポケモン、そしてサトシたち人間が皆力を合わせて、各自の強みを活かして戦う様はとてもドラマチックであったが

 

 

その中で何よりよかったのがその戦いの中でココのため命をかけて戦った父ちゃんザルードが

「父親になるってどういうことなのかを」悟るところ。

f:id:kitano-stop:20210109115843j:image

 

 

そしてそんな父ちゃんザルードを守りたいと願った

ココの出した結論が

自分は「人間だ」でも、「ポケモンだ」でもなく

f:id:kitano-stop:20210109130352j:image

だったことだ。

 

 

f:id:kitano-stop:20210109130441j:image

 

 

そして人間社会にも、ポケモンのコミュニティにも属せず自分のアイデンティティを見失っていたココは

自分は人間でもありポケモンでもある

自分にしか出来ないことを探しに行きたい、

ポケモンと人間を繋ぐ架け橋になりたい、

と1人で旅にでるのだ。

 

 

人間でもない、ポケモンでもない自分に苦しんで

人間を攻撃したミュウツーとは違う選択でとても前向き。

f:id:kitano-stop:20210109131501j:image

ココ偉い。

 

 

今回の映画のストーリーは大体予想を上回るような意外な展開はないし、シンプルでベタで王道だ。

でもそれでいい。

 

 

昔、佐藤優さんか誰かの読書術についての本を読んでいた時

「読書とは本そのものではなく、本の文章を通じて自分の経験や知識の蓄積を読んでいるのだ」

というような言葉に出会い、感銘を受けたことがあったけど(その割にはずいぶんうろ覚えだけど)

 

 

映画も同じで

普遍的な何かをリアリティを持って描いてくれれば

私は映画を通して自分の人生の感動を思い出せちゃう。

私は映画を見ている間ずっと父ちゃんザルードとココを透かして自分の子供への愛情を見ていたんだと思う。

 

多分奇をてらった展開なんていらないのだ。

 

 

 

ポケモンの映画からはいつも

人間とポケモン、違った生き物がそれぞれお互いを尊重しながら助け合い共に生きていくというメッセージが伝わってきて、

見た後とても優しい気持ちになる。

 

 

うちのコペルとコケシにも

ココのように

自分と違う意見や立場の人達を尊重し、

共に生きることができる人間になって欲しいなと思ったし

 

私も

父ちゃんザルードのように

アイデンティティが揺らいだときには

この北野家で育ったこと、トマレの子どもであることを心の拠り所にできるように

子に全力の愛情を注いで育てたい。

 

 

f:id:kitano-stop:20210109190450j:image

いいから使え。

 


【公式】「劇場版ポケットモンスター ココ」予告2

 


【公式】「劇場版ポケットモンスター ココ」メインテーマ「ふしぎなふしぎな生きもの」 ミュージックビデオ

 

 


日記・雑談(40歳代)ランキング

↑応援していただけると嬉しいです

 

 

にほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ
にほんブログ村

↑いつもありがとうございます

 

 

気軽にコメントやブクマにて足跡を残してくださると嬉しいです。 いつもありがとうございます。 とても励みになっています

これさえわかれば「劇場版鬼滅の刃無限列車編」を見に行けるよという話

鬼滅の刃の映画を見ただろうか。

 

 

f:id:kitano-stop:20201021165142j:image

 

私は先週家族で見てきた。

映画は前評判通り素晴らしい出来で、もちろん泣いた。

こちとら前頭葉が老化して何を見ても涙ぐんでしまう

万年センチメンタルな中年女性だ。

私を泣かせるなんて赤子の手をひねるようなもの。

f:id:kitano-stop:20201021173118j:image

全く簡単な事で名作の証拠にもならないが

周囲の人もみんな泣いていたので

泣ける映画であったことは間違い無いと思う。

 

 

 

離れて住む70代の私の両親も揃って映画館に観に行って

二人で号泣したらしいし

12歳の姪っ子も泣きじゃくっていた。

泣けるから良い映画というわけでは無いだろうが

少なくとも多くのひとが心を揺すぶられていることは確かだ。

 

 

コミックスを読んでいる義母も「見たい、一緒にみようよ」と義父を誘っていたが、

義父は鬼滅の刃を見ていないので気が進まないらしい。

 

 

ということで今回は極めて個人的な記事になるのだが、お義父さんに向けて

 

f:id:kitano-stop:20201021174305j:image

・・という、鬼滅の刃の基本を書いていきたいと思う。

映画を理解するのに必要最低限の情報だけをピックアップしたいので、ストーリーなどはかなり

はしょっているがご了承いただきたい。

子どもやお孫さんに鬼滅の刃の映画に連れて行って欲しいとせがまれているけど

まだ鬼滅の刃は読んだことないや、という方も

この機会にブームに乗ったみよう、という方も

参考にしていただけたら嬉しい。

 

 

 

(※以下映画のネタバレは余りないが、映画に至るまでのストーリーは軽く書いてあるので

これから漫画を読むつもりの方はご注意を)

 

 

大人気の鬼滅の刃シリーズ、舞台は大正、主人公はこの少年。

 

 

竈門 炭治郎(かまどたんじろう)くん!。

f:id:kitano-stop:20201021182908j:image

緑と黒の市松模様の羽織がトレードマーク。

耳に花札みたいなデザインのイヤリングつけている男の子だ。

 

 

 

お父さんを既に病気で亡くしていて母子家庭。

6人兄弟の長男として頼れる稼ぎ頭だったが

ある日鬼に家族が襲われてしまう。

 

 

 

そう、この鬼滅の刃の世界には鬼がいるのだ。

f:id:kitano-stop:20201021213747j:image

 

鬼は初めから鬼だったわけではなく、

元々は人間である。

f:id:kitano-stop:20201021212650j:image

人を鬼にできるのはこの鬼舞辻無惨ただ1人だけ。

この人はめちゃくちゃ強くて、めちゃくちゃ悪い。

それこそ赤子の首もひねるような外道。

 

 

f:id:kitano-stop:20201021215021j:image

でも鬼に食べられても人間は鬼にならない。

そこはゾンビやキョンシーとは違うところ。

 

f:id:kitano-stop:20201021220008j:image

鬼殺隊員に支給される特殊な刀で首を切り落とすか

お日様の光を浴びさせないと倒すことはできないのだ。

 

 

 

 

とにかく炭治郎の家族は鬼に襲われた。

炭治郎は仕事に出かけていて1人無事。

彼が仕事からもどると家族は全員殺され、

妹の禰豆子は鬼にされていたのだ。

f:id:kitano-stop:20201021222105j:image

普通鬼になると人間の心や理性をを失ってしまうのに

禰豆子は人間の心を失わなかった。

(咥えてる竹は人を噛まないための口輪みたいなもの)

 

 

炭治郎はいつか鬼の親分鬼舞辻を倒し、禰豆子を人間にもどすことを誓う。

そして厳しい試験をうけて鬼殺隊という鬼を退治する剣士集団に入隊。

 

 

f:id:kitano-stop:20201022165356j:image

 

鬼の禰豆子を連れている炭治郎は

最初隊士たちの反発にあうが

仲間と一緒にたくさんの鬼を倒す中で、その実力と人柄を認められていく。

 

 

友と出会い・・

f:id:kitano-stop:20201021225511j:image

黄色が善逸(ぜんいつ)。ヘタレだけど寝ると強い。禰豆子が好き。

猪が伊之助(いのすけ)。猪突猛進、野生児

 

 

 

尊敬できる先輩(上司?)にも恵まれる。

f:id:kitano-stop:20201021231426j:image

 

 

 

そして今、新たな指令を受けて鬼を退治するため

炎柱・煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)と共に炭治郎たちは列車に乗り込んだ!

 

 

というところから映画スタート。

 

最低限これくらい理解していれば映画は問題なく楽しめると思う。

 

 

 

呼吸、というのがちょいちょいでてくるけれど、

これは剣の流派というか奥義みたいなものと思ってくれればいい。

 

 

 

見てもらえたらわかると思うけれど

もう炭治郎がいい子でね、

煉獄さんが熱くて真っ直ぐでね、

 

フィクションの世界とはいえ、彼らの生き様と直向きな姿勢、人の優しさには心打たれる。

 

 

f:id:kitano-stop:20201021232804j:image

マスクの下びっちゃびちゃになった。

 

 

とってもよかったからぜひ見てみて欲しい。

涙をふくハンカチ持参でね。

 

 

 

 


日記・雑談(40歳代)ランキング

↑応援していただけると嬉しいです

 

 

にほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ
にほんブログ村

↑いつもありがとうございます

 

 

 

気軽にコメントやブクマにて足跡を残してくださると嬉しいです。 いつもありがとうございます。 とても励みになっています。