ちょっと前にこんな本を読んだ。
私の祖父は北の果ての小さな市で市会議員をやっていた。
とにかく知的でスマートで物腰がとても柔らかく、
子どもの私にも大人に対するような丁寧な言葉遣いで話しかけてきてくれる人だった。
その年代の人にしては進歩的な、現代に近い感覚を持った人で
当時としては珍しく仕事を持ってフルタイムで働いていた祖母に
家事を押し付けることもなく、
私にもこれからは女性だって勉強して世界に出ていく時代だと
私に留学を勧めてくれたりしていた祖父。
周囲からの人望も厚く、いつでも紳士的で頭の良い祖父は私の自慢であったが
そんな祖父は私が高校生の時
初めは見知った道でも迷って自宅に帰れなくなることから始まって、
辻褄の合わない、おかしなことを言うようになり、
新しいことを記憶することが出来なくなって
人の名前を忘れ、思い出を失い、家族の顔がわからなくなって
どんどん色々なことを忘れていって
最後は子どものようになっていった。
症状がある程度すすんでくると祖母と二人で暮らすのは難しくなり、
祖母は仕事をやめ
祖父を連れて埼玉の私たちの家へ移り住んできた。
久しぶりにあった祖父は私の自慢の祖父の姿とは随分違ってしまっていて、
私はショックをうけた。
私のことを昔戦争で亡くした弟と思いこみ
しげるか?生きていたのか?と呼びかけてきたり
夜になると、うちに帰らないと!と焦燥感にかられるらしく
フラフラっとどこかへ行ってしまう。
夜毎懐中電灯を手に家族で祖父を探した
不安で切ない思いは今も忘れられない。
やがてその状態の祖父と暮らすことにも慣れ
あどけない子供のような祖父をも愛おしく思えるようになったが
失う記憶と共に本来の祖父も少しずついなくなってしまうような
病気に少しずつ祖父が上書きされてしまうような
そんな感覚は拭えなかった。
この本は認知症の専門医である長谷川先生が書かれた本だ。
長谷川先生は日本中で広く使われている認知機能検査「長谷川式スケール」を開発された方。
「長谷川式スケール」は
決められたいくつかの質問に答えられるかどうかで認知症かどうかを判断する検査だ。
もちろん祖父も受けた。
そんな教科書の中の人というか、
(巻末の解説では痴呆界の長嶋茂雄と表現されていた)
認知症の第一人者である長谷川先生が
自らも認知症を発症したとき、
今の自分にどんな景色が見え、どんなことを感じているのかをありのままに書いて伝えてくれているのがこの本である。
冒頭の文章を読んだ時からなんだか泣けて仕方がなかった。
人間は生まれた時からずっと連続して生きているわけですから、認知症になったからといって、周囲が思うほど自分自身は変わっていないと思う部分もあります。
そもそも認知症になったからといって、突然、人が変わるわけではありません。
昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます。
いつしか私は認知症発症後の祖父を別人格のように考えるようになっていったと思う。
これも病気が言わせていること、病気がやらせていること。
これは本来の祖父ではないのだからと考えないとやっていけないような出来事もたくさんあった。
でもそれはもう祖父はあっち側の人間、と遮断してしまう行為ではなかっただろうか。
認知症になると周囲はこれまでと違った人に接するかのように𠮟ったり、子供扱いしがちです。
だけど本人にしたら自分は別に変わっていないし、自分が住んでいる世界は、昔もいまも連続している。たしかに失敗や間違いは増えるけれど、
認知症でない人でも間違えることはあるでしょう。
認知症になると無視されたり、軽んじられたり、途端に人格が失われたように扱われるのは、ひどく傷つきますし、不当なことです。
周りのサポートや編集のあってのことであろうが
認知症であっても長谷川先生の文章は知的で分かりやすく、温かい。
そのことに驚くと同時に
その驚きは「認知症患者さん=何も分からなくなった人」と思い込んでいる、
自分の中にある偏見のようなものから出ていることに気づいて少し落ち込む。
長谷川先生が
認知症である自分にもどかしい思いを抱えながらも、
今自分がここにいて、懸命に思考し
昨日から連続するご自身の今を生きているんだよと言うことを
繰り返し伝えてくださっていて
なんだか今になって祖父に近づけたような気になった。
決して軽んじたり、馬鹿にしたりしたつもりはなかったけれど
ボケてしまった祖父の中に以前の祖父の姿をみつけようと躍起になったり
変化を嘆くのではなく
もっとそのままの祖父と向き合ってあげればよかった。
そんなことを思いながら読了した。
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息子が認知症を発症した祖母を「心が奥底に沈んだだけ」と表現したことがあったけど
心が奥底に沈んだように見えるからと言って「=心がそこにいない」ということではないな、ということに
さらに気づかせてもらう体験となった。
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